はじめまして。
石原潤一と申します。
僕は埼玉県ふじみ野市で生まれ、大学生で起業し、車の修理会社の学生社長になりました。
30年経った今でもその事業は続けています。
4人兄弟の長男として生まれ、
『お兄ちゃん』として育ち、
知らず知らずのうちに、
『しっかりしなければ』
『俺が背負ってくんだ』
が当たり前になっていて、
人を頼るとか頭を下げてお願いするとか
ダメな自分を見せる事は
恥ずかしいと思って生きてきました。
ですが、元々内向的で大人しい性格。
身長も低く、水泳やサッカーやかけっこも
どんどん弟たちに追い抜かれ、自信喪失。
お兄ちゃんなのにダメなヤツ、、、と
小学校、中学校、とモテないくん人生を
歩んできた自分は基本的にネガティヴ思考。
でも、そんな僕に転機が訪れた中1の春!
父親の転勤でドイツに行くことになり、
5年間全く違う環境で過ごすことになります。
日本の中の埼玉県の中のふじみ野市の中の、
小学校という狭い世界の中で生きていた自分。
文化も食生活も違う人たちが混在する学校で生活をする中で、僕は日本人としてのアイデンティティを感じる事ができた。
高校生で日本に戻る事になった僕は、
モテないくん人生を卒業したい!と意を決して
キャラ変に挑みました(笑)
この話だけで短編小説が書けるくらいのボリュームなので割愛しますが、、、
バンドを組み、ギターを弾き、文化祭では女子達の黄色い声を浴びるようになりました。
しかし!恋愛となるとなぜか上手くいかない。
付き合っている女の子から、ウザがられたり、逃げられたり、避けられたり、いつの間にか友達と付き合ってたり、、、
モテないくん気質は変わらず、
大した恋愛経験もできないまま、
大学生になりなんとかモテたい!一心でバイクレーサーの道に挑戦しはじめたのです。
(中略)
※この話が聞きたい人は、クラファンにエントリーしてください(笑)
奥さんとの出会いは2015年の冬。
僕の友人が主催するアメリカのTEDのようなイベントで登壇を頼まれ、15分のプレゼンをする事になりました。
その日は5人の登壇者がいて、みんななかなかの有名人だったので緊張しながら舞台に上がったのを覚えています。
ステージの上に立つと、一番前の席にひときわ目立つモデルさんみたいな女性がいて、彼女は友達とワインを飲みながら参加していました。
僕の話しに、拍手をしたり笑ったりする彼女のリアクションを横目で見ながら、
あの人は一体、何をしている人なんだろう?
と気になっていると、彼女は主催者の友人の友達で メンタルカウンセラーをしている人だと言う事を知りました。
ステージの上では、
景気の良い話や、面白い話をして会場を湧かせていながらも、
当時仕事もプライベートもボロッボロの状態だった僕は、メンタルブロックって何なんだ!?とすごくボロボロの自分を見せる事には抵抗もあり、とりあえず仲間たちとご飯を食べに行く席に誘いました。
みんなと僕の話をずっとニコニコしながら聞いていた彼女でしたが、駅に行く道で歩きながら
『石原さん嘘をつくのが時々しんどくなってるでしょう?そのイエロー信号を放っておくと強制終了が来ますよ。』
と言われた言葉が胸にらグサッと突き刺さりました。
はじめは理解不能でしたが、
それからというものの「強制終了」という言葉が頭から離れずグルグルと回っていました。
仕事の仲間に裏切られ、
顧客も騙し取られ、
借り入れの返済に追われて、
借金が膨らみ。
家族はバラバラになっていき、
生きる意味や希望がなくなり、
嫁にも親にも仲間にも友達にも見せられない本当にダメな自分がいました。
毎日毎日、朝起きると
莫大な借金を死亡保険金で何とかしようと、
死に方を考えているような状態。
当時は
「俺はどうしてこんなにお金に苦労しているんだろう。この人間の気持ちを狂わすこのお金という紙キレを作ったのは誰だ!?」
ってお金の存在そのものを憎んでいました。
それから更に
状況は深刻になり、
事務所の家賃も滞納して電気が止まり、
躁鬱が激しくなって、次第に身体が動かなくなり、働けなくなっていきました。
彼女のカウンセリングを受ける中で、
幼少期の母親に対する感情にブロックがある事がわかりました。
本当はもっともっとお母さんに甘えたかったのにお兄ちゃんとういう役を演じなければいけなくて、寂しい想いをしていた自分を思い出しました。
だからお母さんにこっち向いてほしくて、危ないバイクレースを始めたり、不安定な自営業を始めたりしていた事に気がつきました。
また自己肯定感も低く
モテないくん時代のブロックから、自分より不幸な人を探して自己重要感をあげていく
『可哀想な人探し』をしていた事がわかりました。
今の自分の周りにいる人は僕が持っているよう見えるお金についてきている人を集めているかもしれないと潜在意識で思っていた僕は、
お金が無くなった自分でも離れていかないかを確かめるように借金地獄を繰り返していた事もわかりました。
仲間も、家族も、顧客も、
お金が無いダメダメな自分について来てくれる人なんてやっぱりいないじゃないか。
そんな自分の感情が、
ブワッと溢れ出し、
3回目のセッションで滝のような汗と涙が出て、
自分の中で何かがパキーンと壊された感じがあった。
20億を超えるメンタルブロックがゼロになった瞬間、
同じ部屋なのに目の前の景色も空気も全く違う感覚があり、
あんなに辛く苦しかった事が全く気にならなくなりました。
それから次々と変化が起きていきました。
ポジティブになり、仕事が上手く行くようになり、出会う人の層が変わり、新しい仕事のオファーや、遊び仲間ができていきました。
7年経過した今、、、
180度違う人生になっているのは、
今一緒にいるみんなが一番よくわかっているんじゃないでしょうか(笑)
自分の人生を生きていい
もう、あの時の自分には、
絶対に戻りたくない。
まさか15キロ痩せてチビデブ人生を卒業できるなんて(笑)
スーツコンプレックスの自分に、
スーツ屋さんの顧問に就くなんて(笑)
恥ずかしい自分をさらけ出しても、誰も離れていかないという事も身をもって経験してきました。
自分が後回しにしてきた夢や、趣味、仲間との時間、チャレンジせずに逃げてきた事。
奥さんの病気を通してよりリアルに描けるようになり、ついに夢だったキャンピングカー生活が目の前にやってきました。